御手洗まで、歩いていくのも日頃の訓練がいいのか、子供が動いてくれません。
すぐ先には、千砂子波止が写っています。
鴻池の作った住吉神社の太鼓橋も見たかった。
(しかし、運送関連で鴻池の江戸時代の話は聴いていたけれど、これを関係者にみせてあげると喜んだだろうに!)
御手洗港まで歩いてきましたが、バス乗り場を幸運にも発見できましたので、次の到着の時刻を見ると12時5分となっていました。
当然 あまり 遠くにはいけません。
そこで、港近くにある資料館と、竹原屋にいってきました。
三条実美、三条西季知、東久世通とみ、壬生基修、四条隆歌、坂本竜馬、シーボルト、などなど、歴史の裏舞台になった由緒ある建物がある場所です。
瀬戸内海の歴史を正面からとりあげられたケースはあまりありませんが、隣の豊島では、家船(えぶね)の町があり、これは平家の落人と一部 関連があるそうです。
海の上の船が住居とは、想像できません。
が、これも悲しい歴史の一こまです。
できることなら、もっと御手洗にいてゆっくりしたかった。
レトロな町です。
これは、観光でも十分やっていけると思います。
町自体は、規模が小さいので自転車で十分みて回れます。
資料館に、
明治時代の海岸線のパノラマ画像がありましたので、撮影してきました。
海岸線の建物は、遊郭です。
親父の話によると、昭和30年代までは、現存していたとのことです。
このあたりの地理は、島々が入り組んでいますが、隣の島が愛媛県であったりします。
政治的利害関係が、藩同士の綱引きとなったのでしょう。
地元のひとじゃないと地理が把握できないでしょう。
おちょろの無縁仏があり、豊町が、そういった仏を集めて、坂の上に墓所を設けています。
この内容は中国新聞が一度 とりあげてくれたのですが、ネットではほとんど検索できません。
四国や九州から、売られてきた若い娘が多かったそうです。
いわば人身売買が公然と行なわれていたことになります。
これは、木江にも言えることなのですが、無縁仏が道路拡張などで、海岸線を工事していると、沢山の人骨が出土してくる話をよく聞きます。
平野部が少ない島では、傾斜地に墓を作ることが多いのです。
遊郭の裏山とか、そういった近距離に無縁仏が集合しています。
幽霊の話もそういった場所では噂で聞きます。
港町は、風情がありますが、裏の歴史もあり2面性があります。
悲しいかなおちょろの話は、あまりのこっていません。
また、おちょろを経営していた関係者も、あまりいい話はありません。
しかし、豊町に歴史の見える丘公園に「おいらん公園」ができたことは評価すべきことです。
過去と正面に向かって取り組むことの意思表示です。
もし、おやじが、大長出身でなければ、関わる事のなかった歴史です。
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