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徒然な日々

Palm、電子小物を中心に日々 思った事をメモっていきます。

03/27

Mon

2017

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05/30

Sun

2010

いよいよ来週 イベント開催じゃ!


公報委員を仰せ使い、

以下のサイトで、公報活動をしています。

旅する櫂伝馬 ~参上!!大崎衆!! 厳島編~

旅する櫂伝馬

大崎上島備忘録






徒然なる日々とは、


まったく関係のない話ですが、


結構、熱くなっております。


幸か不幸か、偶然にも九州の歴史関連のミクシィのコミュニティにも

過去の記事を検索してブログを紹介してもらったり、


広島では、かなりのアクセスのあるブログのサイトに私のレポートを

これまた、検索して紹介してもらったりと、

まるで、

「櫂伝馬を宣伝しろ!」

と、後ろ指を指されているようです。


というわけで、

私のパソコンの中は、

結構、色々な動きがあります。

今回のイベントは、

大崎上島町長、

そして、五日市の市長も、

宮島で合流してくれます。

NHK、テレビ広島も取材で同行してくれるそうです。

上手い具合に、東京の打瀬船を復活させる会の公報にかみ合い

全国認知することになればと、

サプライズを期待しています。





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11/29

Sat

2008

祝い 大崎下島 豊浜 橋が開通!

 ジョブ


やあ~こんちわ!

最近、なんだかアクセスが多いよね。

検索ワードは大崎下島、豊町 など
 


 チャンプ


そりゃ、橋が架かったからね。

呉の方からだと700円でこれるそうだから、お遊び程度だといいんじゃないか。

なんでも、開通してから、4万5千人程度が島に訪れたそうだから、人口が、3千人台クラスの町が観光客でハッキングされたようなものだね。




でも考えてみると、島民の悲願の橋ではあるが、逆に本土の人にとって待ち焦がれた橋である感もあるね~。

だから、土日になると「大崎下島」の検索ワードで下調べにアクセスする人が多いんだと思うね。


ただ、言えることは、こんな交通量は想定して作った道路体系じゃないから、交通渋滞とか事故が起きているんじゃないかと思う。




橋が架かって便利な点も増えるが、そうでない点もあるからね。

盗賊がくるとも限らないし

島の人は性善説を信じている人が多いから、島外から来る人は悪者という解釈で話を展開する人が多い。


ミカン泥棒が増えたとか、そんなことを書くとそうなんだと思う人が多いだろうけどね。






大きな投資をしたけれど、ピークが過ぎるとどうなるかってことが、みんなのもっぱらの話題だ。

手前の尾道~今治ルートをみればどうなのかは、わかるだろう。

税金の負担とか、橋の維持管理費が増えるわけだから、




ただ 言えることは、利用料金が安い点、

呉ルートだとどうしてもアクセスが悪くなるけれど、新しい観光ルートができあがる可能性はある。


島民の方の成功を祈って今日は乾杯としようじゃないか。

08/17

Sun

2008

大崎下島 御手洗

御手洗まで、歩いていくのも日頃の訓練がいいのか、子供が動いてくれません。





すぐ先には、千砂子波止が写っています。

鴻池の作った住吉神社の太鼓橋も見たかった。
(しかし、運送関連で鴻池の江戸時代の話は聴いていたけれど、これを関係者にみせてあげると喜んだだろうに!)



御手洗港まで歩いてきましたが、バス乗り場を幸運にも発見できましたので、次の到着の時刻を見ると12時5分となっていました。

当然 あまり 遠くにはいけません。

そこで、港近くにある資料館と、竹原屋にいってきました。





三条実美、三条西季知、東久世通とみ、壬生基修、四条隆歌、坂本竜馬、シーボルト、などなど、歴史の裏舞台になった由緒ある建物がある場所です。

瀬戸内海の歴史を正面からとりあげられたケースはあまりありませんが、隣の豊島では、家船(えぶね)の町があり、これは平家の落人と一部 関連があるそうです。

海の上の船が住居とは、想像できません。

が、これも悲しい歴史の一こまです。



できることなら、もっと御手洗にいてゆっくりしたかった。

レトロな町です。

これは、観光でも十分やっていけると思います。

町自体は、規模が小さいので自転車で十分みて回れます。



資料館に、
明治時代の海岸線のパノラマ画像がありましたので、撮影してきました。




海岸線の建物は、遊郭です。



親父の話によると、昭和30年代までは、現存していたとのことです。




このあたりの地理は、島々が入り組んでいますが、隣の島が愛媛県であったりします。

政治的利害関係が、藩同士の綱引きとなったのでしょう。

地元のひとじゃないと地理が把握できないでしょう。




おちょろの無縁仏があり、豊町が、そういった仏を集めて、坂の上に墓所を設けています。

この内容は中国新聞が一度 とりあげてくれたのですが、ネットではほとんど検索できません。

四国や九州から、売られてきた若い娘が多かったそうです。

いわば人身売買が公然と行なわれていたことになります。

これは、木江にも言えることなのですが、無縁仏が道路拡張などで、海岸線を工事していると、沢山の人骨が出土してくる話をよく聞きます。

平野部が少ない島では、傾斜地に墓を作ることが多いのです。

遊郭の裏山とか、そういった近距離に無縁仏が集合しています。

幽霊の話もそういった場所では噂で聞きます。




港町は、風情がありますが、裏の歴史もあり2面性があります。

悲しいかなおちょろの話は、あまりのこっていません。

また、おちょろを経営していた関係者も、あまりいい話はありません。



しかし、豊町に歴史の見える丘公園に「おいらん公園」ができたことは評価すべきことです。

過去と正面に向かって取り組むことの意思表示です。

もし、おやじが、大長出身でなければ、関わる事のなかった歴史です。

08/16

Sat

2008

大崎下島 御手洗

暑い真夏日の中、家族をつれて大長から、御手洗まで歩いていきます。

しかし、歴史の宝庫にも関わらず子供にとってはあまり面白い場所ではありません。

帰る帰るばかり言われては、落ち着いて散策どころではありません。

しかも、今日は、昼から東野 住吉祭です。

大崎上島明石港~小長(大崎下島)のフェリーの便は、お昼以降 極端に減ります。
1時の便を乗り遅れると、次ぎは3時までありません。

お昼までが勝負なのに、これではスケジュールがこなせませんね。



若胡子(わかえびす)屋跡

私にとって若胡子(わかえびす)屋の有名な話は、遊郭としてではなく、天上についた血痕や、幽霊の話です。

残念ながら、13日は閉館となっており中にはいることができませんでした。



小学生の時、父親に連れられて2度3度来たことはあるのですが、残念でした。

他にも、住吉神社の太鼓橋とかもすぐ目と鼻の先にあるのに、
鴻池が建立したとの話があったので、是非見たかった。

鴻池は副会長をしてもらっているので、まさかこんなところで歴史に出会うとは思わなかったです。



御手洗の観光地 - 若胡子屋跡 - | 広島を歩こう。から引用


お歯黒伝説

御手洗・若胡子屋に残る、「お歯黒伝説」を紹介したいと思います。

当時の若胡子屋、人気のあった「花魁」(おいらん・・・お客を取ってた人)の部屋での出来事です。

ある日、お客を取る準備をしていた花魁が「禿」(かむ・・・花魁の身の回りの世話をしていた人)の差し出したお歯黒がうまくつかなく、お客の催促もあり怒った花魁が、なんと煮えたお歯黒を禿に飲ませ、殺してしまったのです!

これが有名な「お歯黒事件」です。禿が倒れた時に壁に付いたお歯黒の手形は、何度壁を塗り直しても出てくるとか・・・( ̄へ ̄|||)

この事件以降、若胡子屋の没落が始まったといわれています。



追伸させてもらえば、殺された女性がこれ以降、枕元にでるようになった。

加害者の女性は、罪を感じお遍路さんとなって、四国88箇所に参る事になる。

やがてお遍路の旅が終わる頃、殺された女性が再び枕元に出てきて、許してあげるとささやいた。

白黒の映画だと思うが、お歯黒伝説をもとに映画化がされていたはずだと記憶している。(タイトルは忘れた!)

多少 着色された部分はあるが、似たり寄ったりの話だと思う。


しかし、子供小ごろに天上についた血痕後をみて、説明をうけても気持のいいもんじゃなかった。

遊郭関連は、おちょろ船の話と一緒に取材しているので、自分の記述が間違っている点があるので、訂正しておかなければいけない。

地元以外の業者がこういった遊郭の経営をしていたのが大半だったという記述です。
地元で経営していたのが大半だったのが正解だそうです。

御手洗は、広島藩公認のおいらん(芸者)のいた場所が、いつの間には、おちょろ(現代で言うソープランド)に変ってしまっていた。

三味線を弾く人が多かったけれど、これもおいらん→おちょろの変遷の産物かもしれません。






なんだか時間の止まった場所に思えてきます。

倉敷の美観地区や、福山の鞆の裏とそっくりとも思えます。





この他にも、日本一古い時計屋さん、乙女座という劇場も見たかった。


身動きとれないのは予想できましたけど、やっぱり残念でしたね。

08/16

Sat

2008

大崎下島 大長に墓参り



親父の出身呉市豊町大長(旧豊田郡 豊町)に行って着ました。

といっても場所がわからないと思いますので、グーグルマップで表示しておきますね。


大きな地図で見る

写真の橋は愛媛県岡村島につながっている橋です。
平成の大合併でここも、現在今治市と合併して町の名前が変更しています。

フジテレビの長野翼アナの出身地といった方が有名かもしれません。




豊町も、以前は大長港と、御手洗(みたらい)と港が2つありましたが、手狭になったため、あたらに小長港ができていました。

また、海の駅もできていて簡易宿泊ができます。

お盆時期でしたので、宿泊客で満員だったみたいです。

明石港から乗船したのですが、帰省客の車と人が沢山いて大長に縁のある人がこんなにいるとは驚きでした。

車のナンバーも愛媛県、広島県、岡山県、香川県、大阪、愛知、神奈川、東京などの関東圏のナンバーと多種多様です。



小長港から大長まで、距離が少し離れているので、偶然バスがありましたので、これに乗車。

ここまでは、案外スムーズにこれました。

大長と言う町は、本当に久しぶりで、20年以上前に訪れたことがあるのですが、一歩路地裏に入ると完璧に時計の針がとまっているのか、一昔前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。

軽自動車一台が通れるような狭い道に古い旧家が密集して建っています。

また、狭い道横に墓が突然あったりと、初めて訪れる人はショックもあると思います。

江戸、明治時代に建てられたであろう、古い窓枠、木製の手すり、一部西洋風の水色の門構えの家があったり、そんな古い町並に、20代の若い女性の方が現代風のスタイルで日傘をもって歩いている風景がみれる場所は中々ないと思います。

兎に角墓参りにきたので、場所がどこだったか、いい加減な記憶を元に、山に向かって歩いていくのですが、迷路の様な小道が沢山あり、根をあげることになりました。

携帯電話で連絡してナビゲートしてもらってやっとのこと墓所にお参りできました。



しかし、この日は特に暑かった。
11時過ぎごろには、気温がぐんぐんあがり、大阪で暑さにはなれている私でも、来る時間を間違ったと思ったほどです。

子供は、当然 不満がでます。

もうひとつの目的、御手洗の古い町並みをこれから見にいくのに!

大長の町も少子高齢化が進んでほとんど、70代以上のおじいさん、おばあさんばかりの町になってしまいました。

「もうあるけない。」とぐじっている息子に、おばあちゃんがきて、「これあげるけ~がんばりんさい。」と瓢箪を頂きました。



写真は、大長の町の中心に位置する宇津神社です。
江戸時代にオランダ使節が御手洗にきた際に、夜遊びを散々した後、つつしみ深い人間になりすまして、この神社にお参りにきたそうです。

長崎の丸山遊郭で遊びなれていたそうで、なんの躊躇なく御手洗で遊ばれたそうです。





しかし、豊町は2キロも歩けば、町を横断できるのですが、子供にとっては、あまり面白くない町です。

「帰ろう」コールが鳴り出しました。

まだ、一時間も経っていないのに。


これから、御手洗の町をみないといけないのに。

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