親父の出身呉市豊町大長(旧豊田郡 豊町)に行って着ました。
といっても場所がわからないと思いますので、グーグルマップで表示しておきますね。
大きな地図で見る写真の橋は愛媛県岡村島につながっている橋です。
平成の大合併でここも、現在今治市と合併して町の名前が変更しています。
フジテレビの長野翼アナの出身地といった方が有名かもしれません。
豊町も、以前は大長港と、御手洗(みたらい)と港が2つありましたが、手狭になったため、あたらに小長港ができていました。
また、海の駅もできていて簡易宿泊ができます。
お盆時期でしたので、宿泊客で満員だったみたいです。
明石港から乗船したのですが、帰省客の車と人が沢山いて大長に縁のある人がこんなにいるとは驚きでした。
車のナンバーも愛媛県、広島県、岡山県、香川県、大阪、愛知、神奈川、東京などの関東圏のナンバーと多種多様です。
小長港から大長まで、距離が少し離れているので、偶然バスがありましたので、これに乗車。
ここまでは、案外スムーズにこれました。
大長と言う町は、本当に久しぶりで、20年以上前に訪れたことがあるのですが、一歩路地裏に入ると完璧に時計の針がとまっているのか、一昔前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
軽自動車一台が通れるような狭い道に古い旧家が密集して建っています。
また、狭い道横に墓が突然あったりと、初めて訪れる人はショックもあると思います。
江戸、明治時代に建てられたであろう、古い窓枠、木製の手すり、一部西洋風の水色の門構えの家があったり、そんな古い町並に、20代の若い女性の方が現代風のスタイルで日傘をもって歩いている風景がみれる場所は中々ないと思います。
兎に角墓参りにきたので、場所がどこだったか、いい加減な記憶を元に、山に向かって歩いていくのですが、迷路の様な小道が沢山あり、根をあげることになりました。
携帯電話で連絡してナビゲートしてもらってやっとのこと墓所にお参りできました。
しかし、この日は特に暑かった。
11時過ぎごろには、気温がぐんぐんあがり、大阪で暑さにはなれている私でも、来る時間を間違ったと思ったほどです。
子供は、当然 不満がでます。
もうひとつの目的、御手洗の古い町並みをこれから見にいくのに!
大長の町も少子高齢化が進んでほとんど、70代以上のおじいさん、おばあさんばかりの町になってしまいました。
「もうあるけない。」とぐじっている息子に、おばあちゃんがきて、「これあげるけ~がんばりんさい。」と瓢箪を頂きました。
写真は、大長の町の中心に位置する宇津神社です。
江戸時代にオランダ使節が御手洗にきた際に、夜遊びを散々した後、つつしみ深い人間になりすまして、この神社にお参りにきたそうです。
長崎の丸山遊郭で遊びなれていたそうで、なんの躊躇なく御手洗で遊ばれたそうです。
しかし、豊町は2キロも歩けば、町を横断できるのですが、子供にとっては、あまり面白くない町です。
「帰ろう」コールが鳴り出しました。
まだ、一時間も経っていないのに。
これから、御手洗の町をみないといけないのに。
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