もっとも、詳しい古墳です。
丸保山古墳は短い前方部を南に向けた帆立貝形古墳で、周囲には濠が巡っています。前方部の高さが著しく低いのは、昭和30年の開墾で大きく削られてしまったからです。埋葬部の構造や副葬品の内容などはわかっていませんが、円筒埴輪が採集されています。その埴輪から5世紀後半頃に造られたものと考えられています。
丸保山古墳の西側には、円墳の菰山塚(こもやまづか)古墳があり、さらに南側にもかつて古墳のような高まりがあったということです。これらを含めて大山(だいせん)古墳〔仁徳陵古墳〕の陪塚(ばいちょう)と考えられています。
この丸保山古墳のすぐ近くにもう一つ古墳があります。
指定されていないみたいなので詳細はわかりません。
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