今では、人口が9千を割り、田舎を色々なところで過去を分析している。
持論を書いてみましょう。
島が退化してしまった理由を考えると、
時代の波にのれなかった。
島の経済活動の盛んだった頃は、人口の流動率が盛んで、活性化していた。
そうでなくなると、オリジンさん達の持っている縁故意識が目立ちだす。
それを嫌いだと言っていた人が私だけかと思っていたら、若い世代が意外や意外、多かった。(特に女性!だから地元意識よりも離れたい意識が大きいひとが多かった。)
島がいい所かどうかは、地元の人が評価するべきことではないが、必ずしも、実情はそうではないと判断していた人がいたんだろう。
まっ、必ずしも人間が綺麗な生き物というよりは、そうでない傾向が社会でもみてとれるが、人それぞれ、住んでいる環境で人が変ることはないと思う。
ただ、言えることは、
島社会は、減点主義で、とにかく人の失敗や粗を探すこと、それに対して徹底的に潰すことはたけている。
集団暴力といっていいと思う。(随分、私ははっきりとそのものずばりを表現するでしょう。冷静に分析できているんです。)
女性が訴えていたのは、「プライバシーがない」ということ。
根も葉も無い噂を楽しむ趣味の方が多いとのこと。
個人で話せば、こんな話題がぼろぼろ出てきます。
必ず彼らが出す論法は、「島は心の綺麗な人が多い。」と言う前提で話をすすめることが多い。
「島に住んで良かった。」と
「単純に都会=冷たい 」の2極化でしか田舎の良さを比較しかできないのだ。
ちなみに家の親父がこの典型です。
私から言えば、
都会=人が多いが、色々な悩み、目的を持った出会いができる、いい人も多い
田舎=親父の人間関係は怪しい人が多い。島という環境が前提で生きられている人が多い。だから排他的で独善の傾向が強い。
もっと進んで考えれば、
都会=チャンスが多い。
田舎=固定的で都会の逆
となる。
俗物根性の塊かと疑うことが多かった。
なんせ母方の親戚が医者でいると仮定しよう。
血がつながっていなくても、親戚として自慢の話題になるのだ。
人としての誇りとか、努力とか、尊いものがまったく 感じることのできないお笑いの場所でしかなかった。
いいことは、自慢話としてエスカレートしていって悪いことは隠蔽する体質。
これが島のオリジンじゃないかと思います。
兎にも角にも「恥」という意識、言葉を好んで使います。(乱用といってもいいのでは)
でも私にとっての恥は嘘をつくことです。
侍スピリットを持った人が少なかったのは、やはり「島」だからでしょうか?
人間は成功する仮定で失敗もあれば成功もあります。
パソコンだって、人は失敗するのを前提に設計します。
(それでも失敗しますね。)
人の価値は目的をもった経験だと思います。
あまり自慢できない家系から出てきた私ですが、応援するのは、孤独でも努力する人です。
最近 特にいいなと思うことが、ボロボロまで野球を続ける人が増えたことです。
野茂、桑田、清原、
花道を飾るのもいいですが、「野球を続けたい!」「自分の可能性を信じる」その気持がもてるだけ、素晴らしいなと思います。
nomoクラブも近くにありますので、是非 野茂さんと会いたいですね。
子供と一緒に写真をとれたらと願っています。
子供にアスリートを見せるのも、
娘と同じぐらいの身長の人でも、42Kを走りぬける、意思なくして何もできない、努力、訓練に勝る才能はない、ことを実感してもらうためです。
本当に、不遇な時代が多かった島時代でしたが、しっかりと本来のものを取りもどそうと思います。
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