暑い真夏日の中、家族をつれて大長から、御手洗まで歩いていきます。
しかし、歴史の宝庫にも関わらず子供にとってはあまり面白い場所ではありません。
帰る帰るばかり言われては、落ち着いて散策どころではありません。
しかも、今日は、昼から東野 住吉祭です。
大崎上島明石港~小長(大崎下島)のフェリーの便は、お昼以降 極端に減ります。
1時の便を乗り遅れると、次ぎは3時までありません。
お昼までが勝負なのに、これではスケジュールがこなせませんね。
若胡子(わかえびす)屋跡
私にとって若胡子(わかえびす)屋の有名な話は、遊郭としてではなく、天上についた血痕や、幽霊の話です。
残念ながら、13日は閉館となっており中にはいることができませんでした。
小学生の時、父親に連れられて2度3度来たことはあるのですが、残念でした。
他にも、住吉神社の太鼓橋とかもすぐ目と鼻の先にあるのに、
鴻池が建立したとの話があったので、是非見たかった。
鴻池は副会長をしてもらっているので、まさかこんなところで歴史に出会うとは思わなかったです。
御手洗の観光地 - 若胡子屋跡 - | 広島を歩こう。から引用
お歯黒伝説
御手洗・若胡子屋に残る、「お歯黒伝説」を紹介したいと思います。
当時の若胡子屋、人気のあった「花魁」(おいらん・・・お客を取ってた人)の部屋での出来事です。
ある日、お客を取る準備をしていた花魁が「禿」(かむ・・・花魁の身の回りの世話をしていた人)の差し出したお歯黒がうまくつかなく、お客の催促もあり怒った花魁が、なんと煮えたお歯黒を禿に飲ませ、殺してしまったのです!
これが有名な「お歯黒事件」です。禿が倒れた時に壁に付いたお歯黒の手形は、何度壁を塗り直しても出てくるとか・・・( ̄へ ̄|||)
この事件以降、若胡子屋の没落が始まったといわれています。追伸させてもらえば、殺された女性がこれ以降、枕元にでるようになった。
加害者の女性は、罪を感じお遍路さんとなって、四国88箇所に参る事になる。
やがてお遍路の旅が終わる頃、殺された女性が再び枕元に出てきて、許してあげるとささやいた。
白黒の映画だと思うが、お歯黒伝説をもとに映画化がされていたはずだと記憶している。(タイトルは忘れた!)
多少 着色された部分はあるが、似たり寄ったりの話だと思う。
しかし、子供小ごろに天上についた血痕後をみて、説明をうけても気持のいいもんじゃなかった。
遊郭関連は、おちょろ船の話と一緒に取材しているので、自分の記述が間違っている点があるので、訂正しておかなければいけない。
地元以外の業者がこういった遊郭の経営をしていたのが大半だったという記述です。
地元で経営していたのが大半だったのが正解だそうです。
御手洗は、広島藩公認のおいらん(芸者)のいた場所が、いつの間には、おちょろ(現代で言うソープランド)に変ってしまっていた。
三味線を弾く人が多かったけれど、これもおいらん→おちょろの変遷の産物かもしれません。
なんだか時間の止まった場所に思えてきます。
倉敷の美観地区や、福山の鞆の裏とそっくりとも思えます。
この他にも、日本一古い時計屋さん、乙女座という劇場も見たかった。
身動きとれないのは予想できましたけど、やっぱり残念でしたね。