誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)にいってきました。
応神天皇陵といったほうがわかりやすいかも。
古墳大きさランキングの大きさでは、仁徳天皇陵に次いで二番目の規模の古墳です。
何度か、車では通過したことはあるのですが、実際 直接拝所までいったのは初めてです。
場所も「車でどうぞ」という感じじゃなくて、住宅街に続く裏道にはいる感じです。
当然、ナビ案内でもちゃんと直近まで案内はしてくれません。
羽曳野市役所前の道路に路上駐車して、歩いて古墳に向かっていきました。
しかし、明らかに、自治体によって古墳の扱い方(予算)が違う。
応神天皇陵周辺は住宅地が隣接というより一部になっており、保存方法が適切でない。
区画整理の段階で、史跡の扱いというより、宅地として分類さえていたんでしょうね。
ひどいことです。
近くには他にも小型の古墳群が点在していますが、区域の分け方が、適切でないため、住宅、マンションがはいりこみすぎて車で回ることは不可能です。
前方後円墳の解明も、宮内庁管轄という情報統制がしかれているため、発掘や分析がすすまない。
副葬品などで、いつ だれが どんな 目的で作られたかはっきりわかると思いますが、21世紀の現在でも、宮内庁がしっかり監視しています。
やしろの前に立ってみると、荘厳で神聖な場所だったことがわかります。
仮に、天皇家=古墳群という解釈でなくても、畏敬の念は断つことはありまん。
右翼の人たちは、古墳発掘は朝鮮半島との歴史的因果関係がわかるかもしれないので、神聖な天皇家が汚れるとのことで反対をされています。
でも、私にとって、そんなこと、どうでもいいのです。
というのも、社(やしろ)にしても、仏教が入る前からある日本独自の物の怪(怨念の時代)に代表する古代宗教から伝来するものだし、前方後円墳にしてもどこからこういった形状に至ったのか知りたいですね。
日本オリジナルなものですから。
巨大な森といっていいほどの規模の古墳群と同居している現代人は、その存在もわからないまま、たんなる山としか認識しないまま暮らすことに違和感を感じてしまいます。
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