仁徳天皇稜前にある大仙公園内の堺市博物館にいってきた。
世界で最大の古墳でありながら、ちゃんとした名称の博物館がないのは少々残念だ。
歴史的検証もちゃんとすんでいないにも関わらず法的根拠もないまま宮内庁管轄となっているのは、おかしいと思うし、(逆に、明治時代までは、古墳は荒れ放題だったのだから、宮内庁管轄となることで、保存は守れるが)現代の最新技術 DNA鑑定をもってすれば、ある程度の確証にもつながると思う。
既得権力を守る上で配慮を優先して真実の日本史を闇に葬るのはいかがなものかと思う。
いずれにしても、そういったうやむやな環境に対峙することになるのは将来避けられないだろう。
仁徳天皇稜は、2000人の労働者が30年かけてはじめて完成することができるそうだ。
こんな巨大古墳が、5世紀ごろにできたとは驚きだ。
安定した穀物の収穫が前提でないと、労働力と人口は維持できない。
続いて昭和4年撮影の三宝町沖の写真。
現在は埋め立てされて面影もなく新日鉄堺の敷地となっていますが、当時は干潟であったことと写真をよく見ると現在とあまりかわらないスタイル---短パンにTシャツ風の格好で親しみがもてます。昭和4年の風景とは思えません。
続いて大和川沿いから撮影された写真です。
大和川沿いに隣接した町は、海抜0メートル地帯ですから現在では堤防に覆われていますが、意外とそれ以外はあまりかわっていないと思います。
遠方に見える山は大和葛城山だと思いますので、写真に写っている橋は現在もある路面電車専用の橋脚だと思います。
ちなみに大和川は水質が全国一悪いことで有名ですが、最近同地区から大臣を選出したことにより環境問題に取り組み水質の改善が著しいことでも有名です。
本来住吉大社のお祭のみこしは、大和川を渡ることが行事のひとつにはいっていました。それがあまりに水質が悪いため長い間中断していたのですが、今年は復活したそうです。
鮎も帰って来たことが確認されたそうです。
近くに散歩にいっても水質の透明度があがっていることが確認できます。
PR