履中天皇稜の写真をとってきました。
仁徳天皇稜を公園をはさんで履中天皇稜があります。
大仙公園前から撮ると巨大な山程度としか見えません。
が、これも古墳なんです。
履中天皇稜周辺は池で覆われていますので、近づけません。
宮内庁管轄ではありますが、警備は仁徳天皇稜ほど厳重ではありません。
履中天皇稜横は、このような住宅街の閑静な一般道となっています。
仁徳天皇稜と比べれば、有名ではありませんが、逆に それが いい です!
横から柵の隙間からデジカメをいれて撮影しました。
どうみたって、前方後円墳には、見えません。
正面から撮影しました。
仁徳天皇稜より威厳を感じてしまうのは、どうしてなんでしょうか?
やはり 周辺にめぐらされている溜池のお陰で、内部があらされていないのではないかと思います。
和の5王が一体だれなのか、未だに沢山の推測推論が出ていますが、いつの日か、古墳を科学の目を通して再検証される時代がくると思います。
最近の宮内庁の動きを、日経ではこのような内容で記事に載っていました。
引用
神功皇后陵を初調査
宮内庁は15日、日本考古学協会など考古学、歴史学の計16の研究団体に、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)への立ち入り調査を許可し、22日に調査が実施されると発表した。
これまでも補修工事などの際に見学が認められることはあったが、学会側の要望に基づく陵墓の立ち入り調査は初めて。
宮内庁や協会によると、陵に入るのは各団体の代表16人。墳丘の外観を目視で観察するのが中心。立ち入りは墳丘第一段目の平らな場所までで、発掘は認められていない。
宮内庁が過去に作成した図面を検証するほか、埴輪の確認などで詳しい築造時期を明らかにするのが目標で、4月上旬に奈良市でシンポジウムを開き、調査結果を公開する。来年度以降も、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)など全国の陵墓調査を申請する方針だ。
神功皇后は第14代仲哀天皇の妻。陵は古墳時代のものとされ、全長約270メートルの前方後円墳。目視で観察するしか認めないとは、ナンセンスだと思います。
天皇家も、血縁中心とした姻戚関係から脱皮して人間天皇 象徴天皇として形成されつつあります。特に、昭和天皇以降、特に、皇太子殿下は開かれた皇室を目指していると思います。
過去の歴史を検証するのは、日本史の再認識と捉えるのと、逆にあけてはいけないブラックボックス、タブーとなるのとでは、大きな開きがあります。
これだけ、世界的に類をみない巨大古墳群に対して、ちゃんとした、国レベルの資料館が一つもないこと。(堺市資料館を除く)
ちなみに、宮内庁が天皇稜を管轄する具体的な法的根拠はないとのことです。
日本は治外法権と違うのですから、学者さんも、しっかりと目の前にある現実に向かい合い古墳問題をとりあげて欲しいものです。
帰宅途中に飛行船が飛んでいました。
でも、このあたりは歴史の宝庫です。
信じられないぐらいの秘密が沢山 眠っています。
まさにミステリィーワールドです。
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