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徒然な日々

Palm、電子小物を中心に日々 思った事をメモっていきます。

04/24

Wed

2024

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07/11

Sat

2009

大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁にある前方後円墳。昭和31(1956)年5月15日に国史跡に指定された。



百舌鳥古墳群のほぼ中央、大仙陵古墳の南、上石津ミサンザイ古墳の東に位置する。全長約146m、後円部径約90m、高さ約11.5m、前方部幅約99m、高さ約10.5mで、百舌鳥古墳群では8番目の大きさである。墳丘は3段に築かれ、南側に造り出しがある。主体部の構造や副葬品などは不明。台地の南端に位置するため、周濠の南側には大規模な堤が築かれている。



昭和30(1955)年頃、土砂の採集と住宅造成のため破壊されそうになったが、市民運動によって保存された。その際、後円部から出土した衝角付冑の埴輪は、現在、堺市の文化財保護のシンボルマークになっている。




大きな地図で見る


狸の住んでいる古墳です。
橋が以前は架かっていましたが、取り壊され立ち入り禁止となっています。
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05/24

Sun

2009

応神天皇陵にいってきました。

誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)にいってきました。
応神天皇陵といったほうがわかりやすいかも。

古墳大きさランキングの大きさでは、仁徳天皇陵に次いで二番目の規模の古墳です。

何度か、車では通過したことはあるのですが、実際 直接拝所までいったのは初めてです。

場所も「車でどうぞ」という感じじゃなくて、住宅街に続く裏道にはいる感じです。
当然、ナビ案内でもちゃんと直近まで案内はしてくれません。

羽曳野市役所前の道路に路上駐車して、歩いて古墳に向かっていきました。



しかし、明らかに、自治体によって古墳の扱い方(予算)が違う。
応神天皇陵周辺は住宅地が隣接というより一部になっており、保存方法が適切でない。
区画整理の段階で、史跡の扱いというより、宅地として分類さえていたんでしょうね。

ひどいことです。

近くには他にも小型の古墳群が点在していますが、区域の分け方が、適切でないため、住宅、マンションがはいりこみすぎて車で回ることは不可能です。



前方後円墳の解明も、宮内庁管轄という情報統制がしかれているため、発掘や分析がすすまない。

副葬品などで、いつ だれが どんな 目的で作られたかはっきりわかると思いますが、21世紀の現在でも、宮内庁がしっかり監視しています。



やしろの前に立ってみると、荘厳で神聖な場所だったことがわかります。
仮に、天皇家=古墳群という解釈でなくても、畏敬の念は断つことはありまん。

右翼の人たちは、古墳発掘は朝鮮半島との歴史的因果関係がわかるかもしれないので、神聖な天皇家が汚れるとのことで反対をされています。

でも、私にとって、そんなこと、どうでもいいのです。

というのも、社(やしろ)にしても、仏教が入る前からある日本独自の物の怪(怨念の時代)に代表する古代宗教から伝来するものだし、前方後円墳にしてもどこからこういった形状に至ったのか知りたいですね。

日本オリジナルなものですから。

巨大な森といっていいほどの規模の古墳群と同居している現代人は、その存在もわからないまま、たんなる山としか認識しないまま暮らすことに違和感を感じてしまいます。

04/28

Mon

2008



ニサンザイ古墳

西向きの古墳の中では最大の大きさで全国でも8番目に大きい古墳です。
現在は一重の濠ですが、二重の濠があったことが調査でわかっています。
前方部が広く、どっしりと安定感のある古墳で、反正陵古墳(田出井山古墳)のほぼ4倍の大きさです。また、建造時期もほぼ同じため、こちらを反正天皇陵と考えている説もあります。
陪塚は3つありましたが聖塚(大阪府立大学構内)だけしか残っていません。
前方部の濠の土堤が中央部で外側にふくらんでいる(写真下部)のは、かつて濠の水を灌漑水に使っていた時の樋口の名残です。




古墳大きさランキング

1 仁徳陵古墳(大仙古墳) 486 大阪府堺市堺区大仙町
2 誉田御廟山(伝応神陵) 425 大阪府羽曳野市誉田6丁目
3 履中陵古墳(石津ヶ丘古墳) 360 大阪府堺市西区石津ヶ丘
4 造山古墳 350 岡山県岡山市新庄下
5 河内大塚山古墳 330 大阪府羽曳野市南恵我之荘8丁目
6 見瀬丸山古墳 310 奈良県橿原市見瀬町、五条野町
7 渋谷向山古墳(伝景行陵) 300 奈良県天理市渋谷町
8 ニサンザイ古墳 290 大阪府堺市北区百舌鳥町西之町
9 仲津山古墳(伝仲津姫陵) 286 大阪府藤井寺市沢田4丁目
作山古墳 286 岡山県総社市三須
11 箸墓古墳 278 奈良県桜井市箸中
12 五社神古墳(伝神功陵) 275 奈良県奈良市山陵町
13 ウワナベ古墳 255 奈良県奈良市法華寺町字宇和那辺
14 市庭古墳(伝平城陵) 250 奈良県奈良市佐紀町
メスリ山古墳 250 奈良県桜井市大字高田
16 岡ミサンザイ古墳(伝仲哀陵) 242 大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
行燈山古墳(伝崇神陵) 242 奈良県天理市柳本行燈
18 室大墓古墳(室宮山) 238 奈良県御所市室宮山
19 市野山古墳(伝允恭陵) 230 大阪府藤井寺市国府1丁
20 宝来山古墳(伝垂仁陵) 227 奈良県奈良市佐紀町ヒシアゲ
21 大田茶臼山古墳(伝継体陵) 226 大阪府茨木市太田3丁目
22 古市墓山古墳 225 大阪府羽曳野市白鳥3丁目
23 ひしあげ古墳(伝盤之媛陵) 219 奈良県奈良市佐紀町ヒシアゲ
西殿塚古墳(伝手白皇女) 219 奈良県天理市中山町西殿塚
25 佐紀石塚山古墳(伝成務陵) 218 奈良県奈良市山陵町御陵前
26 河合大塚山古墳 215 奈良県北葛城郡河合町西穴闇字大塚
27 築山古墳 210 奈良県大和高田市築山字城山
西陵古墳 210 大阪府泉南郡岬町淡輪
太田天神山古墳 210 群馬県太田市内ヶ島
30 津堂城山古墳 208 大阪府藤井寺市津堂
31 桜井茶臼山古墳 207 奈良県桜井市外山
陵山古墳(伝日葉酢媛陵) 207 奈良県奈良市佐紀町
33 コナベ古墳 204 奈良県奈良市法華寺町北
巣山古墳 204 奈良県北葛城郡広陵町三吉
35 茶臼山古墳 200 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町
摩湯山古墳 200 大阪府岸和田市久米田摩湯
神明山古墳 200 京都府竹野郡丹後町字宮





ニサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南東端に位置する前方部を西に向けた前方後円墳です。
百舌鳥古墳群の中でもっとも新しく作られた古墳といわれており5世紀後半に建造されました。

全長290メートル 後円部約24メートル、前方部幅約226メートル、前方部高約22.5メートルで日本第8位の規模です。
(近隣地域では、3位)

墳丘は天皇稜の可能性があるとして、「百舌鳥陵墓参考地」として宮内庁が管理しています。




この古墳も、実際 誰が埋葬されているか、わかりません。
宮内庁も「百舌鳥陵墓参考地」として、推測で扱っています。

発掘をさせないためにガードをしているわけですから、真実は闇の中です。
歴史が変ると困るのでしょうか?

しかし、宮内庁が管轄していても、実際は柵をして溜池で囲っているため、警備はされていません。

5世紀前後までに近隣の巨大古墳群が連続してできたという推測なら、労働人口、食糧事情など、どういったインフラが整っていたのかも、疑問です。
仁徳天皇稜で、2000人規模で30年かかるとも、言われています。(実際はそれ以上かかるとの意見もある。)
こういった国家的巨大プロジェクトが、立て続けにできるほど、当時余力があったのか疑問ですね。

測量技術、運搬技術など、どういったものを使っていたのか夢があります。

04/20

Sun

2008



履中天皇稜の写真をとってきました。
仁徳天皇稜を公園をはさんで履中天皇稜があります。

大仙公園前から撮ると巨大な山程度としか見えません。
が、これも古墳なんです。



履中天皇稜周辺は池で覆われていますので、近づけません。
宮内庁管轄ではありますが、警備は仁徳天皇稜ほど厳重ではありません。





履中天皇稜横は、このような住宅街の閑静な一般道となっています。
仁徳天皇稜と比べれば、有名ではありませんが、逆に それが いい  です!





横から柵の隙間からデジカメをいれて撮影しました。
どうみたって、前方後円墳には、見えません。









正面から撮影しました。
仁徳天皇稜より威厳を感じてしまうのは、どうしてなんでしょうか?



やはり 周辺にめぐらされている溜池のお陰で、内部があらされていないのではないかと思います。

和の5王が一体だれなのか、未だに沢山の推測推論が出ていますが、いつの日か、古墳を科学の目を通して再検証される時代がくると思います。

最近の宮内庁の動きを、日経ではこのような内容で記事に載っていました。

引用

神功皇后陵を初調査

 宮内庁は15日、日本考古学協会など考古学、歴史学の計16の研究団体に、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)への立ち入り調査を許可し、22日に調査が実施されると発表した。

 これまでも補修工事などの際に見学が認められることはあったが、学会側の要望に基づく陵墓の立ち入り調査は初めて。

 宮内庁や協会によると、陵に入るのは各団体の代表16人。墳丘の外観を目視で観察するのが中心。立ち入りは墳丘第一段目の平らな場所までで、発掘は認められていない。

 宮内庁が過去に作成した図面を検証するほか、埴輪の確認などで詳しい築造時期を明らかにするのが目標で、4月上旬に奈良市でシンポジウムを開き、調査結果を公開する。来年度以降も、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)など全国の陵墓調査を申請する方針だ。

 神功皇后は第14代仲哀天皇の妻。陵は古墳時代のものとされ、全長約270メートルの前方後円墳。


目視で観察するしか認めないとは、ナンセンスだと思います。
天皇家も、血縁中心とした姻戚関係から脱皮して人間天皇 象徴天皇として形成されつつあります。特に、昭和天皇以降、特に、皇太子殿下は開かれた皇室を目指していると思います。

過去の歴史を検証するのは、日本史の再認識と捉えるのと、逆にあけてはいけないブラックボックス、タブーとなるのとでは、大きな開きがあります。


これだけ、世界的に類をみない巨大古墳群に対して、ちゃんとした、国レベルの資料館が一つもないこと。(堺市資料館を除く)
ちなみに、宮内庁が天皇稜を管轄する具体的な法的根拠はないとのことです。

日本は治外法権と違うのですから、学者さんも、しっかりと目の前にある現実に向かい合い古墳問題をとりあげて欲しいものです。



帰宅途中に飛行船が飛んでいました。

でも、このあたりは歴史の宝庫です。

信じられないぐらいの秘密が沢山 眠っています。

まさにミステリィーワールドです。

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